まずいちばん最初に言いたいのは、既に読書家の皆様や、これから本読みになろうという方にはこの本はお勧めしませんということ。
私の書評からその要点だけを記憶にとどめていただくのがベストだと思います。
1冊通して言い方がキツい。
本書のサブタイトルにもなっている「本を読まない人はサルである!」という主張。
この主張が言葉や表現を変え次々と出てきます。
本を読まない奴と一緒にいるのは疲れる、救いようのない低俗な人、庶民、アホ面などなど・・・。この点が、「本書は読まなくていい」と言っている理由です。炎上しているブログを読んだときのような不快感があるのです。
とはいえ、とはいえ。本を10冊同時に読めという主張には耳を傾ける価値はあるはずです。彼の毒の全てを私のほうでフィルターにかけまして、ある程度綺麗にしてまとめました。
本を10冊同時に読むべき理由
本を10冊同時にというのは、一言で言うと「乱読」にあたります。ジャンルを絞らず、いろんな本を並行して読むべきだということです。これはなぜでしょうか。
バランス感覚や多角的な視野を養う
ジャンルを絞って本を読むことは、何かの職人さんや専門家になるには非常に有効な手段です。しかし、一般のビジネスマンはこういった職種とは違います。自分の仕事に直接関係のなさそうな本も沢山読むことで視野が広がります。加えて、異分野の知識を自分の仕事に応用してみることによって、「新しい何か」が生まれることが期待できます。
このへんは読書法の本を開くと大体書いてある内容ですね。
知性と品性が身につく
本を読んでいる人間は知性があるので話が面白く、読んでいない人間は話がつまらない、というのが著者の主張。読書家と話の面白さについては、齋藤孝氏の本も読んでみると面白いかもしれない。『15分あれば喫茶店に入りなさい。』では、「喫茶店で2時間話がもたない男とは付き合うな」なんて恋愛テクニックも出てくる。読書を普段からしている人であれば、2時間もつかもしれない。
優れた経営者は皆読書家である
なんか、お金持ちは皆長財布を使っている、に近いような・・・。または、犯罪者の大半は1日1回以上白米を食べている、とか。
だんだんと要約も辛くなってまいりました。
本当に本を読まない人をサル扱いしていていいのか?
さて、上記のような内容を著者はもっと悪い言い方で書いているわけですが、ほんとうに「本を読まない人間はサルで平凡でアホ面でどうしようもない奴ら」なのでしょうか。
ここで、一旦本書を離れて『読書は「アウトプット」が99%』の内容を見てみましょう。
残念な読書家になるな!
読書は「アウトプット」が99%には、こんな記述があります。
本をある程度読んでいると、読書の習慣がある人とそうでない人の違いがわかるようになります。
それは何より、会話の質に表れます。
本を読まない人の会話はテレビの話か、自分の身の回りで起きたことばかりです。そういうことが見えてくると、「この人の話、つまらないなあ」とつい下に見てしまいます。(P18)
このへんの主張、成毛眞氏が『本は10冊?』で言っていることと同じです。
違うのはこの先。
しかし、そういう相手を見下す気持ちが芽生えているのは、読書が悪い方向に作用している証拠と言えます。
(中略)
私は、読書によって人格がつくられると思っています。人格がゆがんでしまうのであれば、いい読書とは言えないでしょう。それこそ本を読むのではなく、”本に読まれている”典型です。
本を読んだ結果、人との間に壁をつくってしまうのなら、何のための読書でしょうか。
個人的には、こちらの考えを持っていたいところです。本を読む自分偉い、本を読まない奴はダメだ。そういう思考になっている人を、『読書は「アウトプット」?』の著者である藤井氏は残念な読書家と言っています。
まとめ:乱読多読は大いに結構。ただし、読みまくったらそれを周囲にシェアできる懐の広さも欲しい。
成毛氏の言うように、本を沢山、それもジャンルを絞らず並行して読むのはとても刺激があって良さそうです。そして世の中を牽引するトップ経営者層は沢山の本を読んでいるのでしょう。
それはいいとしても、本を読まない他人をサルだといって切り捨てるだけで終わっていては、残念な読書家どまりではないでしょうか。
真の読書家になるためには、自分が乱読多読して得たものを自分の中に留めず、周囲の「全く本を読まない人」にシェアし、そして感化できるくらいの気持ちが必要です。

本は10冊同時に読め!―本を読まない人はサルである!生き方に差がつく「超並列」読書術 (知的生きかた文庫)
- 作者: 成毛眞
- 出版社/メーカー: 三笠書房
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